鈴木 教世
(北海道大学大学院・理学研究科・生物科学専攻・行動知能学講座)
(suzuki@sci.hokudai.ac.jp)
はじめに
食欲をそそる食べ物のにおい、快い花のにおい、気が静まる森のにおい、いやなトイレの においや体臭、講義が終わった後の室の若者のにおい、老人の部屋のにおい、たばこのにお い、酒のにおいなどなど、、、いつでも快く感じるにおい、不快に感ずるにおい、時により快 く、時には不快に感じるにおいなど、日常生活でにおいの全くない環境は殆どない。これら のにおいのもとになっている化学物質は、なん種類かの分子の混合物であるのが普通であるが、空気中にわずかな数の分子が漂っているだけで、鋭敏に感じている(高感度検出能)。 あるにおいの環境に入った時は、そのにおいを感じるものの、しばらくすると気にならなくなったり、自分が出している体臭、口臭には、気がつかない(におい順応)。また、かって 感じたにおいを何年か後に、再び嗅ぐと、そのにおいと共に、昔の出来事の情景を思い浮か べることもある(においの記憶)。
我々ヒトがにおいとして感じ得る化学物質は、分子量が200-300までの有機化合物が大部分で、揮発性があり、多くは、水に溶けにくい性質の分子である。人工的に合成されたものを含め有機化合物は、40万種(?)以上あると言われているが、そのうちにおいを感じ、他と異なる分子であると、嗅ぎわけられるものは、1万位と非常に多数である(多種類化学物 質識別能)。また、においは、色のように連続した波長スペクトルで、その違い(においの 質)を物理的に並べることが出来ないばかりか、同じ分子の光学異性体や幾何学異性体でもにおいが異なる。
このような、嗅覚の多種類化学物質の高感度識別能、順応、記憶は、におい分子を受容するセンサーである嗅細胞とそれから情報をうけて処理−識別、保存(記憶)する嗅球や大脳
の嗅覚神経系の働きによる。我々のグループは、嗅覚神経系のうち、においを受容する嗅細胞の働きを中心に、魚類、両生類、ほ乳類動物を実験材料に使って、ヒトを含めた脊椎動物
で共通する嗅細胞や嗅覚神経系の働きの原理とそれぞれの動物種での働きの特異性を明らかにすることを目的に研究を進めている。ここでは、これまでに分かったヒトを含めた脊椎動物で共通する嗅細胞や嗅覚神経系の働きの原理について解説する。
嗅覚器
ヒトには主嗅覚器として、嗅粘膜(olfactory mucosa)が鼻腔にある。嗅粘膜は、鼻中隔(nasal
septum)上部と左右の上部鼻甲介(superior turbinate)上部に囲まれた部位にあり、左右1
cm2の面積を持つている。この他に、副嗅覚器として、鼻腔粘膜に神経終末を分布させている三叉
神経(trigeminal nerve)や約40%のヒト成人の鼻中隔前基部に見られる鋤鼻器官(vomeronasal
organ又はヤコブソン器官, Jacobson's organ) (図1 左)がある。鋤鼻器官は、ヒト以外のほ乳類で生殖行動などに関係して、その種独特の交信に使われるにおいであるフェロモンの受容器官として働いているが、ヒトでは、進化の痕跡器官としてあるだけで、実際に嗅覚器官として働いていない。

図1.ヒトの左側鼻腔正中断面(左)と嗅粘膜の構造(右)
ヒトの主嗅覚器は、鼻中隔と左右鼻腔の上部甲介に挟まれた左右の嗅粘膜である。副嗅覚器として、鼻腔粘
膜には、三叉神経終末が分布している。また、鼻中隔基部前方に鋤鼻器を持つ人もいる。におい分子は、矢印
が示すように、鼻孔から吸気とともに、咽頭鼻部からは呼気とともに入り込み嗅粘膜に達する。味覚や他の感
覚に関係する咽喉部の他の神経(舌咽神経と迷走神経)支配域も示してある。
嗅粘膜の外層が嗅上皮で三種の細胞より構成されている。におい受容に直接働くのは、嗅細胞(神経細胞)
であり、におい受容は、におい分子が水を含む粘液層を通り、嗅細胞の繊毛膜に分子が結合することに始まる。
嗅粘膜内層(固有層)には、上皮表面に粘液を分泌するボウマン腺、毛細血管、嗅細胞のアクソンが集まった
嗅神経束が結合組織の中にみられる。この図は左図の嗅粘膜の上下を逆に描いてある。
嗅細胞を詳しく見ると
においの分子は、鼻孔から吸気に伴って鼻腔に入るだけでなく、食べ物を口腔に入れたときなどに呼気に伴っても一部入ってくる。におい分子が嗅粘膜に到達する自由表面(外層)
が、嗅上皮(olfactory epithelium)であるが、ここは、におい受容に働く嗅細胞(olfactory
neuron)以外に、支持細胞(supporting cell)、基底細胞(basal cell)と上皮表面に粘液を分泌するボウマン腺細胞(Bowman's
gland cell)で構成されている(図1 右)。におい受容に直接働く嗅細胞は、ヒトでは、左右あわせて600万個ある。これらは、双極性の神経細胞(ニュー
ロン, neuron)で、樹状突起(デンドライト,dendrite)の先端である嗅小胞(olfactory
knob)から数4 - 5 ミクロン長の8 - 10本の嗅繊毛(olfactory cilia) (図2A)を、水、イオン、その他の物質を含む数10
ミクロンの厚みの粘液層の中に伸ばしている。嗅細胞は周りの支持細胞と嗅小胞の基
部のところでタイトジャンクションの膜構造を作っているので、嗅小胞や嗅繊毛部分は、そ
れ以下の嗅細胞部分と構造的に区画されている。におい分子は、水を含む粘液層を通ってか
ら嗅繊毛膜に到達する。また、嗅細胞は、ニューロンでありながら、約30日の周期で新し
い嗅細胞に再生(turnover)するという特徴がある。水平基底細胞(horizontal
basal cell)と球形基底細胞(globose basal cell)とに区別される基底細胞のうち、球形基底細胞が嗅細胞
の再生における、新生嗅細胞の元基となっている。しかし、嗅細胞の新生にともない嗅球へ
の嗅神経の投射配置も変化しそうに考えられるが、実際の嗅覚の働きになんの変化も感じられないという逆説的な事実からみると、未だ知られていない巧妙な嗅神経の投射のメカニズムがあるようである。これは、解明に挑戦すべき重要な問題である。

図2.分離嗅細胞の微分干渉顕微鏡像
ニジマス嗅上皮からCa2+イオン欠除リンゲル液処理で分離された繊毛型嗅細胞(A)と微絨毛型嗅細胞(B)。
ヒトの主嗅覚器の嗅粘膜には、繊毛型嗅細胞のみが分布している。矢印は、それぞれのタイプの嗅細胞の嗅小胞から、繊毛か微絨毛が生えているのを示している。校正バーは、10
ミクロンを示す。
においの受容とは
においの受容は、嗅細胞の先端膜にあるにおい受容体(odorant receptor)に、におい分子が結合することに始まる。におい受容体を含むにおい受容経路は、受容体へのにおい分子の結合により活性化し、嗅細胞に受容器電位(receptor
potential)を発生させる。この電位は、さらに、電圧制御型イオンチャンネル(voltage-gated
ion channel)を活性化させ、活動電位(action potential又はインパルスimpulse)を引き起こす。においの強さは、嗅細胞でインパルスの放電頻度の大小の情報に変換され、嗅細胞の軸索(アクソン,axon)により第1次の嗅覚中枢
である嗅球(olfactory bulb)へ向けて伝えられる。同じにおいを嗅ぎ続けると、においを感
じなくなるにおい順応(olfactory adaptation)は、におい受容経路の活性化に引き続く、不活性化による。
においの受容経路
ほ乳類の嗅細胞には、におい受容体−G-蛋白質(guanosine triphosphate結合蛋白質)−アデニール酸シクラーゼ(adenylate
cyclase: CA)よりなる酵素反応系が、環状アデノシン3', 5' 一リン酸(adenosine
3', 5' cyclic monophosphate: cAMP)をセカンドメッセンジャー(second messenger)として産生するにおい受容の活性化経路(cAMP経路)がある。この系が活性化するとcAMPが環状ヌクレオチド作動性イオンチャンネル(cyclic
nucleotide gated channel: CNGチャンネル)を開かせ、細胞外よりNa+やCa
2+イオンの流入を引き起こす。更に細胞内に流入したCa 2+イオンがCa2+-活性化Cl-
チャンネル(Ca2+-activated Cl- channel: CACチャンネル)を開かせ、Cl-イオンの細胞外への流出が起きる。それら陽イオンの細胞内への流入と陰イオンの細胞外への流出により、嗅繊毛膜に脱分極性受容器電位が発生するのである
(図3 右 [1]の過程)。このcAMP経路がほ乳類のにおい受容の唯一の経路であることは、この経路を構成するG-蛋白質、AC、CNGチャンネルの遺伝子をノックアウトしたマウスでは、においを感受出来ないことなどから確認されている。

図3.嗅細胞各部での電気発生(右)とにおい受容活性化経路と調節の嗅繊毛膜モデル(左)
受容器電位は、嗅繊毛膜で発生し[1]、その電位により嗅細胞体下部の電位制御型イオンチャンネルが活性化されインパルスが発生する[2]
このインパルスは、アクソン起始部で伝導性インパルスとなり、嗅球糸球体に伝えられる
[3]。
におい分子により、におい受容体−G-蛋白質−アデニール酸シクラーゼの酵素反応系が活性化されることによりセカンドメッセンジャーcAMPが産生される。cAMPは、環状ヌクレオチド作動性イオンチャンネルを
開かせ、これを細胞外からNa+やCa2+イオンが流入する。流入したCa2+イオンは、Ca
2+活性化Cl-チャンネルを開かせることにより、Cl -イオンの細胞外への流出が起こる。嗅繊毛膜で発生する受容器電位は、これらのイオン電流により発生する。三角矢印や錨矢印付きの実線は、それぞれ活性化経路のイオンの流れと物質の転
換を示す。三角矢印や錨矢印付きの点線は、におい順応の原因となるフィードバック調節経路を示す。マイナ
ス記号入り四角矢印は、抑制効果を示す。R: におい受容体, G: G-結合蛋白質(α、βγはサブユニットを示す),
AC: アデニール酸シクラーゼ, CAM: カルモデュリン, CAM-PDE:カルモデュリン依存性フォスフォジエステラーゼ,
cAMP-PDE: cAMP分解フォスフォジエステラーゼ,CAM-K: カルモデュリン依存性蛋白質リン酸化酵素,PKA:
蛋白質リン酸化酵素 A, GRK: G-結合蛋白質連関受容体リン酸化酵素, CNG: 環状ヌクレオチド作動性イオンチャンネル,
CAC: Ca2+活性化Cl- イオンチャンネル,IEX:Na+
-Ca2+イオン交換輸送体
におい受容体
におい受容体は、1991年BuckとAxel により、ラット嗅細胞のmRNAを基に、既知のG-蛋白質連関受容体(G-protein
coupled receptor: GCR、ロドプシンやβアドレナリン受容体など)のアミノ酸配列を基にしたオリゴヌクレオチドをプライマーにし、RT-PCR(reverse
transcription polymerase chain reaction)法で、原形質膜を7回貫通するドメインをもつ受容体(膜
7回貫通型受容体)をコードするcDNAがクローニングされた(図3左、図4)。ゲノム解析
の結果、におい結合部位(膜ドメインIII、IV、V)と考えられる部分のアミノ酸配列が異な
る数多くの受容体を発現する約1,000の遺伝子があることがわかった。その後、この受容体
遺伝子のクローニングは、ヒトを含めた他の動物についてもなされた。ラットやマウスなど
では、それぞれのにおい受容体遺伝子の発現は、左右対称の嗅粘膜の4つの空間的部域(ゾー
ン、ゾンーンI - IV)に限局する嗅細胞に見られ、それぞれゾーンの中では異なるにおい受
容体遺伝子を発現した嗅細胞が混合してモザイク分布していることが分かった(図5)。ま
た、一つの遺伝子の嗅上皮全嗅細胞における発現の割合は平均して約0.1%で、一つの嗅細
胞に複数の遺伝子発現のシグナルがみられないことから、一つの嗅細胞には、一つのにおい
受容体しかないことが判った。また、最近、マウス嗅細胞から幾種類かのにおいの質の異なる分子に対する応答を記録した後、その嗅細胞からのにおい受容体遺伝子をクローニングす
る方法(単一嗅細胞RT-PCR法)で、におい受容体のにおい応答特性が調べられた。その結
果、これまで確定しているホルモン受容体などが、特定の分子としか結合しない特異性を持
つのに対して、ある一つのにおい受容体は、ある特定のにおい分子とのみ結合するのもあれ
ば、結合の度合いは異なるものの、においの質の異なる複数のにおい分子とも結合することがわかってきた。

図4.におい受容体の分子モデル
におい受容体は、細胞外にN末端、細胞内にC末端がある膜7回貫通型受容体で、アミノ酸配列が異なる約
1,000種類ある。白丸印は、他の受容体と相同なアミノ酸残基を、黒丸は受容体により変異するアミノ酸残基
を示す。変異の大きい膜ドメインIII、IV、Vが、におい分子が結合するポケット部位、細胞内ドメインI
2、I3、C末鎖がG−蛋白質との連関部位と考えられている。

図5.嗅細胞アクソンの嗅球糸球体への投射
におい受容体遺伝子の一つと嗅細胞アクソンに特異的蛋白質遺伝子およびガラクトース分解酵素遺伝子を含
む融合遺伝子を遺伝子組み替え技法により導入したマウスを作る。その嗅覚受容体遺伝子を発現する嗅細胞の
アクソンの走行をガラクトース分解酵素の基質を与えることにより青色に染め出し、嗅細胞アクソンの糸球体
への投射を可視化する。あるひとつのにおい受容体を発現する嗅細胞は、左右対称の嗅粘膜のゾーンI
- IV中で、ばらばらに分布するが、そのアクソンは、嗅粘膜ゾーンに対応する嗅球のゾーンI
- IVの中の特定の糸球体に100-200本集まって投射する。
G−蛋白質とアデニール酸シクラーゼ
におい受容に関係するG-蛋白質は、ホルモンの受容で分類さているGsタイプのもので、
GαサブニットとGβγサブユニットからなる。におい受容体は、におい分子が結合すると
Gαに働きかけ、これについているGDPがGTPと交換されると同時にGβγをGαから離
なれさせる。GTPが結合したGαはアデニール酸シクラーゼ: ACを活性化する。このG-蛋白質は、ラット嗅粘膜で同定され、Golfと命名されている。また、におい受容に関係する
ACは、既に明らかになっていたACのタイプのAC IやAC IIとアミノ酸配列が異なっていていることから、AC
III(adenylate cyclase type III)として同定された(図3左)。このAC IIIは、AC
IやAC IIに比べ、バックグランド活性が低く、フォルスコリンによる活性増大が、
AC Iより格段に大きいことから、におい分子に対する幅広い応答性(動作域)を保証する
のに相応しい特徴をもっている。
CNGチャンネルとCACチャンネル
cAMP-経路の下流(出力側)を担うのが、環状ヌクレオチド作動性イオンチャンネル(CNG チャンネル)(図3左、図6)とCa2+活性化Cl - イオンチャンネル(CACチャンネル)である。CNGチャンネルは、両生類嗅繊毛膜で初めて発見されて以来、ラットなどの嗅細胞膜 でその電気的特性が詳細に調べられて、以下のような特性をもっている。1) 環状ヌクレオチ ドで直接開口されるチャンネルで、開口がそのリン酸化によらない 2) リガンド特異性はcAMPとcGMP(guanosine 3', 5' cyclic monophosphate)に限られるがcAMPよりcGMPに感受性が高い 3) リガンドに対する脱感作が見られない 4) 嗅繊毛膜に99%分布する 5) 陽イオン選択性が低くNa+, K+, Ca2+イオンを透過させる、特に、Ca2+ イオンについて高透過性PNa / PCa=6.5をもつ 6) Ca2+、Mg2+などの二価陽イオンによる電位依存性抑制があり、静止電位 (resting potential)の膜電位では、伝導度(conductance)が見かけ上非常に小さい 7) リガンドによる開口確率が細胞内側のCa2+ イオンにより低下させられる 8) チャンネル自身の開閉動作が遅い、などである。これらの特徴のうち、6)は、嗅細胞のにおい受容において、におい信号 −ノイズ比(S/N ratio)を上げるのに相応しく、8) は、におい受容の時間(におい分子が受容 体に結合してから受容器電位が発生するまでの時間)が、視覚のものに較べて長い原因と考 えられる。
CACチャンネル(図3左)は、CNGの開孔に伴いそれを流入するCa 2+イオンにより活性化されて開き、細胞内の陰イオンであるCl -イオンを細胞外に流すチャンネルで、電流としては内向きに流れるので、CNGチャンネルを通る内向き電流を増幅する働きをする。この CACチャンネルによるにおい受容電流の増幅は、閾値付近の強さのにおいに対する嗅細胞 応答を雑音レベルから急峻に引き上げる働きをしている。

図6. 単一環状ヌクレオチド作動性イオンチャネル(CNGチャネル)の活動
パッチクランプ法により、膜両側から2価陽イオン(Ca 2+やMg2+)を除いたイオン溶液環境下で、カエル嗅細
胞からインサイドアウト膜パッチ(inside-out membrane patch)をとり、細胞膜内側から、0.5mM
cAMPを与えた時の、単一CNGチャネルの開閉。上向き矩形波がチャネルの開いている状態で、下向きが閉じている状
態。CNGチャネルはセカンドメッセンジャーであるcAMPによってリン酸化を経ずに、直接開らかれる。保持電位:holding
potential +60ミリボルト、図右下の校正バーは、50 ミリ秒、2 ピコアンペア(2
x 10-12 A)を示す。
におい順応に働く受容経路のフィードバック調節
におい受容経路のフィードバック調節(図3左)には、第一に、 Ca2+イオンによる調節がある。Ca2+イオンは、におい受容経路の活性化により、嗅繊毛膜のCNGチャンネルを通って細胞内に流入する。細胞内に流入したCa2+イオンは、その後、直接的な調節と間接的調節をする。直接的な調節としてはCa 2+イオンがCNGチャンネルの開口確率を低下させること によるNa+イオンやCa2+イオンの流入の抑制がある。また、間接的調節は、カルモジュリ ン(Ca2+イオン結合蛋白質calmodulin: CAM )やCAM依存性蛋白質リン酸化酵素(calmodulin dependent protein kinase: CAM-K II)を介しての調節である。前者を介する系は、Ca 2+イオン結合で活性化するCAMがCNGチャンネルのcAMPに対する感度低下を引き起こすメカニズムである。また、嗅細胞には、cAMPを分解する酵素、フォスフォジエステラーゼ (phosphodiesterase:PDE)として、におい刺激で活性が変化しないcAMP分解PDE(cAMP- PDE)とCAM依存性PDE(calmodulin dependent PDE: CAM-PDE)の2種類があるので、Ca2+イオンで活性化するCAMは、CAM-PDEの活性化を介して、産生されたcAMPを分解する。 また一方、Ca2+イオンで活性化されたCAMはCAM-Kを活性化し、これがACを不活性化する方向に作用する間接的調節もある。
におい受容経路のフィードバック調節には、リン酸化酵素による調節もある。におい受容
経路の活性化により産生されるセカンドメッセンジャーcAMPにより活性化さる蛋白質リン
酸化酵素として、嗅繊毛には、PKA(protein kinase A)があることが分かっている。また、β-adrenalin
受容体リン酸化酵素β-ARK-2と相同の蛋白質リン酸化酵素のGRK-3(G protein-coupled
receptor kinase -3)がラット嗅繊毛部と嗅小胞に確認されている。これは、においにより活性化するG-蛋白質の変化を通して受容体をリン酸化するもので、Gβγサブユニッ
トから転移して、におい受容体に抑制をかける作用する。GRK-3の活性化は、上に述べた
cAMPで活性化されるPKAを介して行われる(図3左)。
イオンのホメオスタシス
嗅繊毛でのにおい受容経路の活性化が起こると嗅繊毛膜のイオンチャンネルを通してイオンの流入が起こるが、この状態をもとに回復させるホメオスタシス機構も備わっている(図
3左)。嗅繊毛膜のイオンのホメオスタシス機構としての、イオン交換輸送体(アンチポーター,
ion exchanger)は、嗅細胞での蛍光変化による細胞内Ca 2+イオンの濃度測定から調べられていて、におい受容の場である嗅繊毛膜に、Na
+ - Ca2+交換輸送体が分布していることが確かめられている。そのイオン交換比は、視細胞外節のものと同じく3Na+
: 1 Ca2+であり、におい受容経路の活性化に伴い、CNGチャンネルを通り細胞内に流入するNa
+イオンのエネルギーで細胞内Ca2+イオンを細胞外に排出する。
におい情報インパルスをつくるイオンチャンネル
におい受容経路の活性化で発生する嗅受容器電位は、嗅細胞の細胞体膜やアクソン膜にある電圧制御型イオンチャンネル群を活性化させ、におい情報としてのインパルス列を作りだ
し、それが嗅球に伝えられる(図3右、[2]と[3]の過程)。活動電位波形とその放電パターン
を形成する電圧制御型イオンチャンネルは、パッチクランプ法による解析から、次の6種
1) Na+チャンネル 2) Ca2+チャンネル 3) 遅延整流K+チャンネル
4) Ca2+ -活性化K+チャンネル 5) 一過性内向き電流K+チャンネル
6) 内向き整流K+チャンネル、があることが分かっている。 これらのイオンチャンネルの分布は、動物の種類や嗅細胞によっても異なっているので、嗅
細胞によってその放電パターンが幾分異なることがあるが、においの強さにその放電頻度が
依存するだけで、においの質によって異なる放電パタンーンを示すということはない。
嗅球でのにおい識別
嗅細胞のアクソンは、他の嗅細胞のアクソンと束を形成(嗅神経束)しながら鼻腔と脳を仕切る骨である篩骨を通り、嗅球の糸球体にむけて伸びている。嗅細胞のアクソンは嗅球の
糸球体までシナプスすることが無いのでそれぞれの嗅細胞が送るにおいに関する情報はそれ
ぞれ独立したラインで送られている。しかし、あるにおい受容体をもつ嗅細胞は、嗅粘膜の
特定のゾーンで散在していながらも、そのにおい受容体を持っている嗅細胞のアクソンは
100 - 200本集まって嗅球の一つの糸球体に投射していて、嗅球での糸球体の分布位置も、嗅
粘膜ゾーンと対応している(図5)。上で述べたように、一つの嗅細胞には、一つのにおい
受容体しかないが、一つのにおい受容体は、においの質の異なる複数のにおい分子に度合い
を変えて結合するので、多種のにおい分子より成る食べ物などのにおいで刺激されると、そ
のにおいを構成する複数のにおい分子により、多数の異なる嗅細胞が、異なる強さで応答する。従って、異なる食べ物のにおいなどは、嗅球に配置する糸球体の異なる活動パターンをることになる(図7)。これが、嗅球レベルでの嗅覚情報処理の第一段階と考えられ、ここで処理された識別情報は、さらに上位の嗅覚神経系に送られる。

図7.嗅球におけるにおい識別−嗅細胞アクソンの嗅球糸球体への投射と嗅球の糸球体活動パターン
ある一つのにおい受容体をもつ嗅細胞(異なるにおい受容体を異なる模様と色で表わしてある)は、左右対
称の嗅粘膜の部域中で、ばらばらに分布するが、そのアクソンは、嗅粘膜部域に対応する嗅球の部域の中の特定の糸球体に100
- 200本集まって投射する。一つのにおい受容体が分子構造の似た複数のにおい分子に反応
の強さを変えて応答する。異なるにおいA, B, Cは異なる複数の分子a, b, c, d,
eの異なる組み合わせより成るとすると、においA, B, Cで刺激されたとき、異なる強さで応答する糸球体(色の濃い糸球体ほど強く反応し
ていることを示す)の嗅球全体での活動パターンが異なることになる。
おわりに
においの情報は、嗅球からさらに大脳の奥深いところにある梨状皮質をへて扁桃体や視床
や視床下部、あるいは、海馬などにも送られて、最終的に大脳皮質の眼窩前頭皮質といわれる脳の神経細胞に達し、どんなにおいで、どんな強さであるのかを、我々は感じることになる。特に視床や視床下部や扁桃体には、嗅覚ばかりでなく味覚、視覚や他の感覚情報や体調
や気分の情報も入り込むところであるので、嗅覚の情報もそれらに複雑に影響をうけること
になる。例えば、コーヒーがおいしかったり、オレンジ飴がおいしかったりするのは、嗅覚
や味覚だけでなく、視覚や他の感覚さらには、その時の気分の違いで、おいしいのである。
試しに、コーヒーを鼻をつまんで(鼻腔ににおいが入らないようにして)、飲んでみてください。また、オレンジ色のオレンジ風味飴を、目をつむり、鼻をつまんで、味わってみてく
ださい。また、満腹しているとき、ウナギの蒲焼きのにおいや焼き鳥のにおいを嗅いでも、
決して快いと感じないでしょう。ひどい二日酔いの朝の朝げのにおいは、吐き気を誘うことさえあるでしょう。このような例は、嗅球より上位の嗅覚神経系の嗅覚情報が途中で様々に
修飾をうけていることを示しているが、その嗅覚情報がどのように修飾処理されるのか、においの記憶はどのような働きによるのかについては、残念ながら、いまだに雲をつかむような状態で、何も分かっていない。将来解明すべき大きな課題である。
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鈴木 教世(すずき のりよ)
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